日常の断片

ピンク色の呪縛

 冬用の帽子を買った。色はピンクベージュ。
 ピンク系のアイテムって、子どもの頃は選ばなかったよなとふと思った。

 わたしが子どもの頃、ランドセルの色は「男子は黒、女子は赤」だった。
 赤は女子の色、という意識がとても強かったように思う。
 更に、色の中でピンクというのは「THE☆女子」というものだった。

 子ども時代の意識を探ってみると、ピンクの色自体が嫌いとかそんな風に捉えていたのではなく、「ピンクとかかわいこぶってると思われそうで嫌」という感覚だったような気がする。

 美人でもないのに、自分を可愛く見せようとして、あるいは自分が可愛いと勘違いして、ピンクを身に着けている。
 そんな風に思われるなんて絶対嫌だ!
 そう思っていた。

 小学校1年生くらいの頃、この年頃の子がよくするように、女の子のイラストを自由帳に描いていたら、同じクラスの男子から
「そういう絵描くのって、自分がかわいいと思ってるから?」
と言われてものすごくショックを受けたことを記憶している。

 このショックを、「かわいこぶってると思われたら嫌だ」という恐怖にも似た思いを、言語化するのはなかなか難しい。
 なぜなら子どもの頃は、とても当たり前にそう感じていたからだ。
 「かわいこぶってる」はもはや「キモい」と同レベルの悪口と捉えていた、のだろうか。

 子ども社会というのはとても残酷だと思う。
 自分と違うからという理由ただひとつで、笑いながら、他人を追い詰めることだってある。
 そして学校というのは、ただ同じ年齢だという共通点だけ持った子どもたちが何十人と狭い教室の中に収められている。

 残酷で狭い子ども社会でずっと過ごしていると、周りの目を恐ろしく感じてしまう。
 自分がこう思うから、というより前に「周りからこういう風に思われるのが嫌だから」と考えて行動しやすくなる。

 歳を取って、周りの目とか評価がさほど気にならなくなって(さすがにやっぱり少しは気になるけれども)。
 人の目を恐れず、自分が好きなもの、自分に似合うと思うものを選べるようになった。

 いい歳して?
 美人じゃないくせに?

 そんな声、気にするだけ無駄だ。バカバカしい。
 だってそんな声を向ける人間なんて、わたしの人生のクソの役にも立たない。
 何年も同じメンバーで過ごす学校と違って、付き合う人たちも自分で選ぶことができる。

 「かわいこぶってると思われたくない」という呪縛から解き放たれて。
 わたしは自分の素直な気持ちと出会う。
 うん、このピンクの帽子かわいい。

 別に「似合う、最高!」と褒めたたえろ皆の者。なんて言わないから、ただわたしはわたしの好きな色を身に着け、好きな服を着る。

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